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二月の言葉

    二月の言葉は「憤」です。

論語の孔子の言葉  「憤せずんば啓せず 俳せずんば発せず」からとりあげました。

孔子が言いました。「私は弟子を教えるのに、弟子の方で考えたが、考えあぐねて

心がふさがっている者には,一言で導いてやる。また、心に思うことを十分にいえないでいる

者にはきっかけを作ってやる」

本人が全く持っていないものを注入することでなく、本人の心の中にあるものを掘り出してやること

だといっています。啓発主義の語源であり、それが教育であるといっています。

啐啄同時という言葉も思い出されます。雛が卵の内側から殻をやぶろうとするとき、

親鳥が同時に殻を破ってやることですが、ある意味で、それは子どもの成長と

その子どもと一緒に過ごすスクールの先生方との心の「出会い」でしょう。

それは醍醐味といえるかもしれません。廊下を走っているたまご君が、雛にかえる

瞬間を期待して走っていきます。












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二月の詩

   二月の詩

 万智ちゃんを 先生と呼ぶ子らがいて 神奈川県立橋本高校

 吾大,克二、健一,秀明ーそれぞれに命名をせし高ぶりを読む

 青春と言う字を書いて 横線の多いことのみなぜか気になる

 ひたすらに 墨をする中うかびくる もの打つごとくさらに墨する

                サラダ記念日  俵 万智

一月の言葉

私の好きな詩人坂村真民さんの詩です。
「花ひらく 心ひらく 道ひらく」より。


生きることば


生きることは

自分の花を咲かせること

風雪に耐え寒暑に耐え

だれのものでもない

自分の花を咲かせよう


生きることは

神仏の使命を果すこと

生まれてきたものには

必ず何かの使命がある

それを見出して為し遂げよう


生きることは

光を見出すこと

この世は決して闇ではなく

必ず光が射してくる

そのことを信じ

勇気を出してゆこう


生きることは

愛に目覚めること

人を愛し世を愛し万物を愛し

二度とない人生を

愛の心で包んでゆこう


生きることは有り難いこと

生かされて生きる不思議を知り

すべてに感謝し

手を合わせてゆこう

12月の言葉

 母親の中に子供のため、夫のため、父母のために自分を犠牲にしながら、

献身的に尽くすのを、日本の理想の母親像と意識している人がいます。

子供が不登校になると、自分の責任だと感じて、自分を責める人も多いようです。

そんな時 「あなたはあなたらしくていいのよ」 「無理しなくていいのよ」と

言われるとホッとするものです。

子供は子供の人生があるのだから、あまり母親がかまいすぎると、両方共に良くないからです。

それは本当だと思います。

 ただ、「そっとしておいてあげたら」 「少し見守ってあげましょう」はあくまで、

子供が自分で課題に気づき、動き始めることを前提としています。

何年も経って 「変らないんですけど?」 と問うと 「本人が決めたことでしょうから」 と

言われると困ってしまします。

学齢は上がり、身長は伸びましたが、気力、体力、学力はそのままですから

なかなか外に出ようとしません。

発展途上の子供に関わるとき、いきなり心の問題(悩み、優しさ、おもいやり、夢、希望)などから

アプローチして「本当はこの子はわかっている」となるとすれば、それは抽象ですから

具体的にどうすればと悩むことがあります。

衣食住、生活習慣、行動様式など、今、中学生として何をすべきか、

家にいるのなら何を誰のためになさなくてはならないのかを考えさせる方が

わかりやすいでしょう。

 お母さんは和願愛語を心がけ、自分の世界を作ってください。

お父さんは、子供との約束を作って、守ったら褒めるようにして欲しいです。

子供たちは表面上明るいのですが、本当につらい、苦しい想いに浸っています。

ですが、それを理解するだけではなく、母は何を、父は何を、子は何をなすべきかを

考えて欲しいのです。

時間が解決してくれることもありますが、深刻になる場合もあります。

世の中のせいにせず、学校のせいにせず、他を責めないで、

自分の課題として実践に取り組むことが一番の早道です。

11月の言葉

お伽噺「花咲かじいさん」には、最初に、子供のいない正直じいさんとばあさんが登場する。

じいさんとばあさんは白い犬をわが子のように大切にする。

「ここ掘れワンワン」と裏の畑で犬がなく。

次に、いじわるじいさんとばあさんが現れる。一言でいえば、勧善懲悪なのであるが、

善きことを積み重ねることは、簡単なことのように思えるのだが、途方もない愚かな行為の

積み重ねなのである。

それは、「今何をしようか」という将来を期待しての行事ではなく、「今何をしているか」という

足元の実践の積み重ねを教えているのである。

子育ての基本は、苦しい時も辛い時も悲しい時も、その小さな手で、その小さな足で何を

しているのかという積み重ねの体験を大切にすることである。その愚かしくも思える善良な

生き様と、他の行いをゆるしていくやさしさが、一つ一つの結果を生み、幾多の辛さを経験

しながら、枯木に花を咲かすのだろう。



「幸(さいわ)い」は「幸(さきわ)う」から出た名詞であると言われる。

「幸(さきわ)う」は言霊の「幸う国」が示す「盛んな」とか「栄える」を意味する。

これは草木が盛んに繁り、五穀豊穣で栄えてゆくさまから生まれた言葉である。

「幸(さち)」は「海の幸、山の幸」を意味するもので、人間が生み出すしあわせではなく、

大自然から与えられる恵みを表すものである。与えておしみない大自然の恵みを

感謝して受け止めることに、日本人の幸ある生活があったのである。

「福」という漢字は「示」へんと、「畐」の作りよって組み合わされている。

「示」へんは、物の重さを量る「秤」で安定を意味する。作りの「畐」は、

字の如く一、口、田を組み合わせたものである。「一口で食べられる田のあることを

安定(満足)することが「福」である」と解釈することができる。福はつつしみを知ること。

足るを知ることを意味しているのである。

恵みは区別も差別もなく、等しく与えられる。人には生まれる前から、空気があり太陽があり

草木が育まれている。生きるのではなく、「生かされている」のである。この恵みを

感謝をもって受け止めることで、豊かな生活が営まれるのである。

私たちは無欲とか無心に程遠い毎日を生きている。ただ「生かされて生きる」恵みを

知る生き方と、「ゆるされて生きる」少欲の生き方に、多くの人たちの「幸福」が

約束されることを、先人たちが教えてくれていることに感謝するばかりだ。
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