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スクールの考え方「第四回」

個の時代の中で

登校拒否の生徒に共通しているのは、親は中流階級であり、子どもの性格は自己中心的、自己主張が強く、好き嫌いが激しい、真面目で考え込むタイプです。周囲にあわせる事が出来ず、意見を言い過ぎるためにクラスや友人間で孤立しやすく、いじめられやすい。
頭が良くてプライドが高いので徐々に学校に行かなくなります。家に篭る内に昼夜が逆転し家族としか関わらないので社会性を失い、社会適応能力がなくなってしまいます。耐えた経験が少ないのでこらえることができず、嫌な事があると我慢できません。社会規範を学ぶ機会が少なくなるとやる事がトンチンカンで知らない内に周囲と摩擦を起こします。

「学校なんかつまらないから行かなくなくてもいい」という人もいますが、問題はもっと深刻です。彼らはある特定の学校へ行かないのではなく社会全般すべてに行けないのです。

登校拒否の子が十六歳や十八歳ですぐに社会に出て生活していける事はまずありません。学校はその国の社会のモデルです。学校は確かに退屈で、尊敬する先生も信頼できる友達もいないかもしれませんが、それに耐える事で社会性を身につけていくのです。
十歳から十五歳の子どもが学校へもどこへも行かず社会性を身につける事はおそらく不可能です。同年代とも地域とも関わらない事は人格の形成に歪みをもたらします。

人間は社会的な動物です。ヒトは個別な存在であると共に類的な存在です。知的好奇心が旺盛な子どもが社会との関わりを拒絶するならば、それは深刻な心の病と認識した方がいいでしょう。

不登校がこれほど増加した事を、一部の人は抑圧体制である学校へのプロテストと捉えているようですが、実態はかなり異なっています。学校の体制・有り様はここ三十年ほとんど変わっていません。変わったのは子供達です。父親達の多くは会社人間となり家族を省みる事がありませんでした。母親は家庭人間となり子どもに過度に干渉する教育ママになってしまいました。子どもは母親に受容される事で安定を得、父親に抑圧される事で社会性を学ぶのに、優しく寛大であるべき母親は口うるさい存在で、威厳ある存在であるべき父親は家にいません。
母親の口うるささが嫌になって自己主張を始めた子どもに、仕事に疲れた父親が「自分で良く考えて」といえば子どもが忍耐心のない自己中心的な人に育つのは仕方ありません。世の中には嫌な事があってもそれに耐えて生きないと行けないとか、生きる事は大変な事で真剣に生きないと誰からも相手にされなくなる事を教えられずに必要以上に衣食住を与えられればまともに育たないのは当然です。

戦後の民主化や経済の発展、生活の豊かさを否定する必要はありませんが、物質的に豊かになるだけでは人間は豊かになれません。
人間として本当の豊かな社会とは経済と共に心が豊かな社会である事と認識すべきです。
われわれ大人は子供達に対し、互いに助け合う、分かり合える社会のビジョンを示すべきです。

人間を支配するものはお金ではありません。理念です。それがなければ集団を維持する事は出来ません。日本の農村社会を伝統的に支えてきた儒教や家族主義は、六十年以降都市型社会に移っていく過程でその力を失ってきました。
かわりに歓迎された西欧の近代主義の理念である「自由」や「平等」、「個人主義」が本当にこの国に根づく事はありませんでした。「人に迷惑をかけなかったらやりたい事やっていいでしょ」茶髪やピアスの子どもに戸惑った大人は、「個人の自由」の前にただただ沈黙するばかりです。

欧米では「自由」とはカトリックの抑圧からの自由であり、「平等」とは王権や教皇を頂点とする階級社会の打破を意味しています。彼らはカトリックを否定しても神を否定しませんでした。より良い社会を作る事、そしてそれは神の御旨にかなう事であるというのが欧米人の理念です。
東北アジアの根本宗教は儒教です。儒教の大きな特徴は祖霊信仰と現世における家の繁栄志向です。つまり我々の命を育んでくれた先祖を尊び、慰霊し、現世においては良く学び、良く働き家を繁栄させ多くの子孫を残す、家庭や家族が大切にされ家族主義となります。根強いキリスト教社会である西欧では、神を畏れ、神が利己を抑止するのと同じように、儒教の家族主義では、神の地位に家族が利己を抑止してきました。家族に対して畏れを抱かなくなった時、利己の抑止力がなくなり、利己主義者になってしまいます。

「温故知新」われわれ日本人は、本質的に儒教的です。この五十年間顧みてこなかった儒教の道徳教育をきちんと学校や家庭でして欲しいと思います。

子供達には、基本的な事を教えたいのです。
自分の事は自分でする。時間を守る。人をいじめない。自分の部屋を掃除する。知り合いに会ったら挨拶する。
愛される事によって子どもは落ち着きを取り戻し、躾られる事によって社会の規範を学びます。

人と一緒に歌を唄ったり、掃除したり、食事をしたりする事を心と体で体験する事で生きる事の喜びを味わわせてあげるべきです。
人生に喜びや夢を持ててこそ嫌な事にも耐えられます。「人生は美しく意味がある」ことを家に閉じこもっている子供達に教えなければなりません。
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テーマ : 子供の教育 - ジャンル : 学校・教育

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