FC2ブログ

嶋田の独り言「2009年6月」

登校拒否は、自主性・社会性の欠乏症であると言われます。とすれば、子供達の自主性を奪っただれかが存在するはずです。

よく、登校拒否は母親の過保護によると言われますが子供の問題を考える場合には、父親も責任を免れません。

父親ないし父親像の家庭不在ということが大きな原因の一つになっています。父親の死亡、離婚、家出などによる不在はもちろん、

父親が健在であっても職業の関係などによる不在の家庭に多いようです。しかし、より問題になるのは、父親が同じ屋根の下に

生活しているのに父なき状態になっている家庭の場合です。

①父親と子供の接触が薄い場合で、激職の会社員、医師、教員などの家庭

②祖父母が実権を握っていて父親らしく動けない家庭

③父親がごく当たり前にせいかつしているが、母親代行的な父親になっていて、精神的な主導権を母親に任せてしまった家庭

などで、このような家庭に不登校が出てきている例が多いようです。

 これらのいずれにも共通していえることは、父親が家庭の中で子供の心の支えとして役割を果たしていないで、精神的に不在で

あることが挙げられます。本来、家庭における父親は、自らが社会の中で真剣に生き抜く姿を子供に示し、生活や社会の道筋を

教え、厳しさやたくましさを心の栄養として送り込み、子供の心をきたえていく役割をになっているはずです。ところが、仕事の厳し

さや忙しさの中で、無意識のうちに逃げ腰になっている傾向があるところに問題があるようです。希薄な父子関係に不安を覚える

、母親は、その空白を補わざるを得なくなり、一層濃密な母子関係形成するとともに、育児から教育まで、いつしか家庭生活のすべ

ての主導権を握るようになる事が少なくありません。

 母親による父親約の代行は、母性の根本的な特性とも言うべき、温かく育む、優しい感情を断ち切ってしまう結果になりがちです

。一人二役の無理がそうさせてしまうのです。このために、母親は子供との関係に不安を覚え、この情感の断絶を埋める為に、無

意識に動物的ともいえる共生的な状態に陥ってしますことになりがちです。子供は、母親に包み込まれてしまうために、母親との

分離ができず、母親の自我を借りたまま成長する事になります。このような自我の未熟さが、登校拒否の根本問題を生んでいると

考えられます。

 つまり、母親の父親役の代行は、父親役とは似て非なる過保護・過干渉になり、結果的に子供が依存的になったり、自己選択

や自己決定の体験、失敗の体験が少なくなったりして耐性の弱い、自主性・社会性の乏しい子にならざる得ないのです。

 子供の成長と独立を願いながら、実は母親自ら子供を離れて独立できないでいると考えます。

テーマ : 子供の教育 - ジャンル : 学校・教育