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10月のことば

ある日のこと。 いっすんぼうしは、きちんと両手をついて言った。

「おいら、ひろい世の中へでてみたくなりました。じいちゃん、ばあちゃん、おひまを下さい」

おじいさんと、おばあさんは、えらいおどろき、

「なんと、おまえ。むらの子にいじめられるようなものが、どうして、一人で世の中へ出られるや」

と聞いた。すると、また、いっすんぼうしは、

「おいら、それだから、ひろい世の中へでてみたくなりました。ぜひ、ぜひ、いかせてください」

しまいには、おじいさんと、おばあさんは、根負けして、

「ならば、気をつけて、いけや。大きくなって、もどるんだぞ」と、

いっすんぼうしの願いを許しました。


昔話の「一寸法師」の第二章は、この一人の旅立ちから展開する。

おじいさんは「大きくなって戻るんだぞ」と、一寸法師の旅立ちを許してくれる。

人間の一人立ちは、自立の決意から始まる。

人間がすくっと前向きに立って、どんなことがあっても、

ぐずぐずせず、ふらふらせず、くよくよせず、後ろを向くことなく、

しっかりと自立の生き方をすることが大切なことなのである。

「ならば、きをつけていけや。大きくなって、もどるんだぞ」という、

おじいさん、おばあさんの言葉は、一寸法師への決別の言葉であると同時に、

子を離すことによって、はじめて知る、親の一人立ちの決意が秘められている。

それが、親が自立の中で知る、一人立ちの子に対しての「祈り」となるのである。

親の子供に対する愛は

祈りとなって

はじめていのちとなる

村人にいじめられていた、一寸法師の一人旅を送った、

おじいさん、おばあさんの切ない祈りを拝みたい。
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