FC2ブログ

スクールの考え方「第五回」

依存は三代

長く引きこもりをする男の子の父親には、長男が多いようです。祖父母に大事に期待され育てられたために、周囲に自然に合わせてしまう性格が作られている場合が多々あります。正直であるが融通がきかない、真面目であるが要領のよくない父親の多くは、職場や地域の中では評判の良い、どちらかといえば温厚な男性で通っています。

子どもが「学校へ行きたくない」といった時、突然大声を出したり叩いたりする人もいますが、その多くは対立を避けてしまいます。奥さんに「おまえに任せる」とだけ言って仕事に向かっていく。対立・対抗を避けてきているという意識は本人達にはないでしょう。あるのは葛藤です。

「自分は周囲の期待に必死で耐えてきた。また我慢することによってそれなりの成功、現状の生活を掴んできたのに…。」という思いと、「今は自分が育った時代と違い、子どもの考えを尊重する時代なのだから、言い分を十分聞いてやるのが正しいのだろうか…。」とする二つの思いに揺れていると考えられます。

子どもが学校へ行かなくなった時、最初に相談に来るのは母親であり、父親が相談に来る例は、全体の一割に満たないのです。父親の影が薄い、存在感が感じられない、「父性の復権」が叫ばれるのはまさに、引きこもり家庭の父親です。「依存は三代にわたる」祖父母の育て方と孫の引きこもりは無関係とはいえません。

同じ兄弟、いとこ同士で不登校の例は珍しくありません。子どもが思春期に入ろうとする時期、幼児的依存心(甘え)が強い子は、母親の過保護・過干渉から母子密着が強く、外へ出ていけなくなります。この時、母親の養育態度を変化させ、子どもを自立へと向けていく役割こそ父親の役割なのです。

父親が子どもを依存から自立へ向けて発達を促すことは可能ですし、責任でもあります。母親の愛情と経済的基盤があれば、子どもの成長に十分であるとはいえません。不登校は大人になりたくない病、父親いない病、社会に出たくない病といえるかもしれません。ではどうすれば良いのでしょうか。

父親はまず母親の気持ちを聴いてやることが求められます。会社での仕事や人間関係で疲れているので、「家ではゆっくりさせて欲しい」、「俺を分かってくれ」、「少しは甘えさせてくれ」と妻に母親の変わりを求める態度そのものが依存と言えます。妻が感じている不安や苛立ちは、一緒に共有して欲しいのです。よき社会人がよき父親であるという保証はありません。妻の立場に立ってみて下さい。

次に子どもの気持ちを理解して下さい。気持ちを理解するというのは、言っていることを正しいと容認するということではありません。理解して欲しいのは「本当は外へ行きたいのに行けない」という気持ちをです。

人は皆、強い面もあれば弱い面もあります。プライドが高い子供達は、弱さを受け入れられません。いつでも良い子で誰にでも愛されようとすることは無理があります。だから動けなくなってしまいます。つまり「弱い」のです。本当の強さとは、実は弱さを認めることです。父親は謙虚に自分の良い所もそうでない所もオープンにすることです。子どもに、弱い点があっても十分にやっていける事を見せてあげることです。決して説教ではなく、行動、態度で示してやって欲しいのです。それこそが、子どもを受入れることになるのです。それが親の自信につながります。

自分自身に対しては、まず形から変化させることです。表情・言葉・行動を変化させることです。「あの人変わったね。」、「最近ちょっと違うね。」と言われるようでないと駄目だと思って下さい。明るく、前向きに、積極的に少し無理をしてみることです。子どものために教育的であろうとすれば、教育的でなくなります。自分自身のためにやる事が、実は教育的なのです。子どもの為ではありません。

不登校の子どもの家は、父親の影が薄いのですが、本当は子どもが尊敬する父親がいないのです。マザーテレサは優しい人でしたが、同時に強い信念の人でもありました。尊敬される人たちに共通しているものは、敬するものを持っている事です。尊敬される人たちは、敬するものを持っているから強く、そして優しくなれるのです。なにを敬うか、なにを信じればば良いのか、人それぞれでしょうが、それがあれば自分を律する事も、そして自分を向上させようと、謙虚に自分を磨く事も出来るのです。今、問われているのは父親自らがそれを求める心なのです。甘えている人は、嫌な事があると他人に頼ります。物事が上手く行かないと、他人のせいにしてしまいます。

子どもの問題に見えるものを、自分の課題に置き換えて、世間を怨まず、他人をひがまず時代や学校のせいにしないで生きて行こうとする姿勢が問われているのです。坐禅や写経、トイレ磨きやボランティアなど自分を磨こうとすれば古今東西さまざまな手段が考えられています。毎朝六キロジョギングしてみて下さい。「なぜ走るんだ」「俺のどこが悪いんだ」「なにを信じれば良いんだ」これらの問いに対する答えは簡単に見つからないかもしれません。しかし答えは自らが出す以外にありません。そして何かを求めるその姿勢そのものが、子どもに未知への第一歩を踏み出す勇気を与えるのです。

テーマ : 子供の教育 - ジャンル : 学校・教育

コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する